エッセイ表紙

おもいつくまま-1-

おもいつくまま-2-

おもいつくまま-3-

日々徒然-1-

日々徒然-2-

おもいつくまま(2)-1-

おもいつくまま(2)-2-

おもいつくまま(2)-3-

徒然に-1-

徒然に-2-

徒然にっき-1-

徒然にっき-2-

花のワルツ(1)

花のワルツ(2)

花のワルツ(3)

花のワルツ(4)

日々(1)

日々(2)


日々(3)

京都物語





日々(3)

 日記-3-
 25〜 2016.6.8〜2016.6.30

   

-25-

写真とは関係ないですが日曜日から火曜日まで金沢行きでした。
金沢へ行くようになって、かれこれ20年以上が過ぎました。
もう、まるで、自分の生活空間の一部となっている感じです。
最近は、行きに一日、帰りに一日、中一日が金沢在住です。
自家用車で移動するのですが、最近は目が疲れるんです。
日常的にパソコン、カメラ、などなど目神経を使うことが多いから。
そろそろ免許証のことも、運転をどうしようかとも考えるんです。

ベートーベンのピアノソナタ、先ほど29番の第三楽章が流れていました。
パソコンのスピーカーから、デジタルデーターで入れられたものです。
聴き慣れた曲、メロディー、気持ちが、記憶と結びつきました。
何してるんやろ、こんなことでいいのか、なんて自問自答している。
答えが導き出るわけでもなく、こうして時間、日々、年月が過ぎていく。
ここまできてしもたぁ、なんて想いがふつふつとわいてきます。
精神的には、昔も今も、感情の生成とでもいえばいいのか、変わらない。

変わらないと思っているのは、自分だけで、連続してるからでしょうか。
16才の気持ち、初々しい気持ち、初恋の繰り返し、そんな感覚です。
成熟なんてことはなくて、成熟してるとすれば、表現方法、手段でしょうか。
文章を、かくことができるようになった、表現として、です。
でも、これらは手慣れたことで、嘘もいっぱい、真実じゃない。
何が本当で、何が嘘なのか、なんて分からない、我田引水ですね。
自分の都合のいいことばかりで、成り立たせようとしているんですね。

ぼくは、やっぱり、誠実じゃないですね、自分の都合が先ですね。
日常のスケジュールは、他を優先して組み立てています。
でも、そうではなくて、気持ち、精神、そうゆうところが自分本位。
自分が中心、自分への興味、自分しか分からない、自分のこと。
あなたのことを知りたい、具体的なことを知りたい、これ恋心ですね。
不思議ですね、他者を求める、異性への想いという、それです。
いまはこのことに集中できるから、それがテーマとしての今、ですかね。

-26- 2016.6.10

先だってから気になっていた作家と本と著者のこと。
朝から書棚の奥をさがして見つけた本が「湖の伝説」。
著者は梅原猛さんというか先生というか、梅原猛先生。
1977年1月の刊行で、達栄作さんから妻宛に頂いた本です。
日本画家三橋節子さんがガン、子供を残し35才でなくなられた。
その三橋節子さんの、伝記というか壮絶な生への闘いの記録。
若い母親が、夫と子供を残して死んでいく、思うだけで胸が詰まります。

ぼくの生きている年月の中で、この本を手にしたのは1978年9月です。
ぼくの写真の恩師、達栄作さんの手元から、釜ヶ崎へ取材に入ったころ。
三橋節子、日本画家、京都在住、梅原猛、立命館大学の教授でもあられた。
ぼくの周辺で起こっていたこと、梅原猛さんの講義は受けていません。
ぼくが通っていた大学で教えられていたし文学部の教授です。
梅原さんの著書はたくさん読んでいるから、ぼくの先生でもある。
三橋節子さんとは、面識もなく、なくなられてから存在を知った人でした。

三橋さん、京都や滋賀をテーマにした日本画を多く残しておられます。
滋賀県立近代美術館に収蔵されていて、展示で作品を観ています。
京都から朽木へいくときなど、花折峠を通るときには、彼女を想います。
そのころ、釜ヶ崎取材のささくれた感情を、癒やしてもらう感じでした。
自分の精神史なんて、自分で想って、自分のなかに流れているだけですが。
それらをなんとか文章とイメージで、作品化していきたいと想っているところ。
いやぁ、表現の根本を捉え直さないといけないみたい、そんな感覚です。

-27- 2016.6.24

朝から自分の立ち位置がわからない感覚になっているようなのです。
なにから手をつけたらいいのか、呆然と立ち尽くす、といった感です。
「言語にとって美とはなにか」という本を取りだし開けてみる。
自然主義と浪漫主義の意味、なんていう?があって拾い読みする。
1965年、昭和40年発行、吉本隆明の名著、読み込めていないですが。
かって読んだ、吉本の思想は、いまも生きているのかどうか、ですが。
自分の今をつくっている基本形が、ここに、あるように思えます。

拠って立つ思想の原点、なんて言葉でいったら昔すぎるかとも思う。
でも、なにかしら、安心している自分があります。
現在、拡散してしまった思想の体系に、まったく順応していない自分。
そう思ってしまうことで、いつも崩壊する感覚を味わってしまうのです。
今朝なんかも、そういう朝、支えるべく基盤がない、浮遊する感覚。
ベートーベンの運命を聴く、第二楽章が気持ちに染み入ってきます。
バッハのヴァイオリンソナタを聴く、これもまた、感無量気分になります。

なんか、わけわからへん、どうしたらええのか、わからへん。
世に出たての青春を卒業する年代の迷いではなく、古希の迷いです。
ええかげん、徘徊気分だし、認知症気分だし、価値崩壊のなかさまよう。
見知った本、目の前にして安心してるけど、そんなんじゃないですね。
漱石も鴎外も、藤村も花袋も、同じ時代のなかで模索したんですね。
それからもう100年以上も過ぎても、心の在処はそんなに変わってない。
たぶん、いま、耳に聞こえる音は、田園交響曲に変わっています。

-28- 2016.6.27

梅雨の晴れ間というか、青空、空気がすがすがしい感じがします。
気持ちがいい、からだが抜けていくような、素直な快感を味わう。
パソコンのやりすぎでしょう、目が重い、かすむ、頭がもやっとする。
水上勉さんが表された文庫本の「土を食う日々」を取りだしてみた。
山野草などを採りに行って料理する、という内容の本です。
もう10年以上も前に読んだ本ですが、その頃のことを思い出した。
2004年のむくむく通信のなかで、ぼく自身そういうことを書いている。

還暦前後のころって、まだ体力もあり、脳も衰えていなくて、身体がうごく。
いま、身体も脳も働いている、とは思っているけど、それほどではない。
空虚感はこういうところに宿ってきているのかも知れない。
春や秋、田舎へ行って、山にはいって山菜を採る、ということもしなくなった。
気力というものだけど、それが、なかなか、もりあがってこない。
こんな否定的なことをぐだぐだ言っていても始まらないんだ、と思う。
いろいろやらないといけない作業があるのに、それを置いといて、これ。

ここは愚痴をいうところと決めているから、愚痴っているところですが。
最近は、論という形式の文章が書けないんですね、書けていない。
もちろん、これまででも論にはならない文章ばかりだったとはいえ、です。
自分では論だと思って書いていたけれど、そういう形式そのものについて。
いけませんね、古稀って、なんだか、生死の境界線であるような、ないような。
自分とのたたかい、なんていうとかっこいいけど、泥沼のなかでの格闘だ。
青空だし、すがすがしい空気を感じるから、きょうは外へ出よう。

-29- 2016.6.30

   

六月の末は夏越しの神事がおこなわれるという話題です。
茅の輪をくぐってお祓い、無病息災を祈願する、ということらしい。
それから水無月を食べる。
米粉のだんごみたいなうえに甘い小豆がしいてある三角の餅?
これは雪に見立ててある食べ物、当時貴族は保存していた雪を食べた。
貴族ではない庶民は、雪に見立てて、水無月を食べた、とラジオで言ってた。
どうも理屈が多すぎる、その傾向がありますね、ぼくには、いけませんね。

ブログとホームページと、SNSはフェースブックやインスタグラムで発信。
静止画、写真と文章、リアルタイムで見えるアートスタイルで行動してます。
表出したモノを見てくれているひとがいる、見てる、と聞くとうれしいです。
素直に、見てくれているひとに感謝したい、感謝します。
芸術家とはいいません、なんかした発表してる作品を、見てくれてる。
なんのためにしてる、といえば知ってほしいひとと作品を共有したい。
写真と文章、西鶴流にたくさん表出させて拡散させて、日々を過ごしています。

古い言葉でいえば芸術、新しい言葉でいえばアート、アートすることとは。
どういう姿、行為をもってアートしていることとするのでしょうか。
同時代の知合いに、行為を見てもらう、まるで子供みたいに、よろこぶ。
そういうことかも知れないな、自分のことを知ってもらう、まるで恋愛。
音楽、文学、絵画、総合芸術の舞台、映画、展示する空間、出版、等々。
なにをどのように、ぼくとあなたが、共有するのか、これがテーマかな。
生きていくための、食べものとしての栄養素、それ以外の栄養素から。

自己満足ということがあるじゃないですか、自分の心がるんるんに満ちる。
そういう心の満足を得たいために、作品なるモノを作って見せる。
無視されたら、ダメージ大きい、否定されたら、ダメージ大きい。
でも共有してもらえたら嬉しい、褒めてもらったら嬉しい、まるで子供。
子供のようだと思えてる心のことが、必要なのかもしれません。
認め合いましょう、別々の生き方でも、認め合いましょう、心の扉を開こう。
まあ、もう、この歳だから、なんでも心の糧は受け入れていきたいエロ爺です。

※写真は2015.6..25に北野天満宮で撮影の夏越し風景です。

-30-

もう半世紀も前になってしまいますが、自分の二十歳のころです。
言語にとって美とは何か、という問いかけをした吉本隆明氏の著作です。
最近になって、ぼくには、新たな問題として、美とは何か、との問いが浮上。
言語にとって、写真にとって、芸術という概念のなかでの<美>とは何か。
なかなか、簡単そうで複雑な内容の概念というか、捉え方というか、です。

最近、自分が、何をしようとしているのか、という問題に突き当たっています。
自分の生きている場所で、何を考え、何をしようとしているのか、ですね。
70年生きてきて、あと残りの年月をどう過ごしていくのか、です。
こんなことを言っている自分が、どうなのかと思ってしまうんですね。
なにも考えなくてもよくて、欲望のままに過ごせれば、それでいい。

もうここまで来てしまって、今更、なにをどのようにしようというのか。
作品を残したい、自分の作品と呼んでもらえるモノを残したい。
小説であれ、写真であれ、評論であれ、自分を残したい、と思う。
でも、つまらないな、そんなことどうでもよくて、生きている証というか。
そういう地平にいる自分を、発見している、近頃です。

-31-

先に記憶の記録と題した文を書いていたんですが、これはそれのあとです。
今日は写真の夜間コースがあって、出発までの時間がいまです。
あとに予定があると、気持ちが落ち着かなくて、浮ついてしまいます。
ストック画像から選び出したのは、高橋の「憂鬱なる党派」単行本です。
もう、遠い記憶のさなかから、浮かび上がってくる自分へのイメージ。
ぼくが釜ヶ崎へ行く、かなり前、西村という主人公の行き着く先が釜ヶ崎。
釜ヶ崎で写真を撮りながら、高橋の描く西村という男のイメージを思った。

夏日になって、青空です。
10時前です、書斎は西向きだから、まだ日が入らなくて、案外涼しい。
チャイコフスキーの交響曲第五番ですね、たぶん、ワルターの指揮です。
これを書きながら、消そうか、聴こうか、と迷いながら、聴いています。
それから、フィルムのスキャンが気になっているところ、一本だけしました。
1977年だったかの冬の旅、余呉駅の光景がでてきていました。
釜へいくのは1978年だったか、1977年には大阪へ取材に行き始めた?。

昨日、京都のヨドバシカメラで、風景論003、写真集をつくりました。
6月から三冊目になる写真集、iPhoneで撮った写真を、iPhoneから。
書籍に編集する器械をつかって、iPhoneから直接12駒を選びます。
そのときの気分、撮ったときの気分、かなり刹那的な選び方ですが。
撮影行動しながら、大きな<この世の光景>を断片化していくこと。
なりゆきまかせ、自分の内面が、羅列する風景に、にじみ出て来ないか。
撮りながら、行動しながら、創りあげていく、そんな行為を論にする。

-32-
2016.8.1
先週、谷崎潤一郎記念館へ赴きました。
待望の、というか、漸く、というか、念願の、です。
特に谷崎のフアンということでもないのですが、気になる。
谷崎の全集を予約で買ったのが50年ほど前です。
生誕130年、没後50年という節目の年だといいます。
念願の記念館へ行って、見学して、谷崎の机を写真にした。
谷崎の文学には、折に触れ、読んだり、見たり、してきました。

青木さんが企画で、三人の作家さんによる展覧会が開催されていた。
思い立って、この機会にと思って、電車を乗り継いでいきました。
小旅行、ぼくの徘徊、なんとなくそんな気分で、行ってみたけど。
かなり感動しました、谷崎のことも、だけど、それを支える人がいる。
ぼくは、この10年、文章を書いていて、谷崎は気になる作家です。
といいながら、決して熱心な読者でも何でもないんです。
ただ、どうしたはずみか、谷崎潤一郎全集を買ったことに始まります。

初めての給与でベートーベンピアノソナタ全集を買ったものです。
初めてのボーナスで谷崎の全集配本を前払いで予約したのです。
19歳のときのことで、その心理状態が、我ながら、わからない。
けっこう、はちゃめちゃな人生を、送ってきたのかもしれません。
あと十年、最近は、あと十年、自分に言い聞かせて、奮い立たせます。
でも、それがどうした、そんなの、どうでもいいんじゃない、との自答も。
なにを、どのように、したい、ということですが、これはまだ内緒です。

-33-

慌ただしく日々が過ぎていく感じがして、今日は8月14日です。
お盆の真っ最中、今日は町内の地蔵盆、明日までです。
昨日は昨日で墓参り、今日はぼくの家の墓に行ってお掃除。
祭礼は17日に行なうと通知が来ていて、出かけるつもりです。
法華宗の本法寺、尊陽院に属しているところです。
本阿弥気の墓があり、長谷川等伯ゆかりの寺、ということです。
ぼく自身は、全くの平たい地平に、気持ちも身体も、置いているつもり。

なんだろうな、いろいろ思うことの中に、家系のこともあります。
家系なんてあまりこだわりなくここまできて、これからもどうですが。
お墓の建立者はぼくになっていて、昭和49年と彫られています。
墓がなかったぼくの家系に、母が墓を建て、ぼくの名前を刻んだ。
母への思い出は、そんなに素敵な思い出はなくて、申し訳ない気持ちです。
母をぞんざいに扱っていたと思う、いまさらながら、申し訳なかったと思う。
地べたを這うようにして生活を作っていた母への、思いは、当時、複雑でした。

まあ、いい、もう済んでしまった、平成元年4月に死んでからもう28年になる。
たいした家系ではないけれど、ぼくにも、父がいて母がいたのです。
死んでしまったあとには位牌だけが残されて、仏壇に並べられる。
でも、これも、時代のなかで、どうなっていくのか、わからないなぁ。
ええ、お盆だから、こんな話しをしていて、いまここにいる自分を確認いてる。
夢幻舞台と名付けている夏の京都の光景です。
祇園祭にはじまって、お盆、五山の送り火で、ぼくのなかでそれは終わります。

-34-

このまえ、水上勉の京都を歩く、という本を買ったんです。
今日、クーラーの効く場所で、この本をざっくりと読みました。
水上文学といえばいいのか、小説の舞台が京都、遊郭、花街。
女を描き男を描き、時代は昭和半ば以前の、つまり水上の体験談。
身につまされること多々あります、舞台といい、内容といい。
ちょうどぼくの父の世代です、大正九年生まれだと記されています。
でも、どうして女は五番町であったり島原であったりなのでしょうね。

当時というか水上のころ、昭和の中頃には、不幸な女の姿がここにあり。
不幸だとしてもけなげに真摯に生きる姿を、なんのために描くのか。
もうぼくの時代だと、遊郭は原則存在しません、残滓がのこっている程度。
女を描くとしても、そういう環境を底流に置けないと思っています。
男と女が描かれる現場は、いま、どうなのでしょうか、ネットの裏にあるような。
アダルトサイトのセックス映像の環境なのかも知れない。
小説になる背景が変わってきているんだと思っています。

小説を手がけて、内緒で書いているところですが、手に負えないな。
水上勉氏が描くシュチエーションではないとしても、人間を描く、男と女を描く。
そのことでいえば、あらためて、構成しなおさなければならないな。
どうしたことか、自分とはなにか、なんて考えているけれど、今更ですね。
ちょっと迷ってしまって、この先、どうしていけばいいのか、立ち尽くします。
あと十年はやっていけるかと思っているけど、どうしたことか、立ち尽くします。
意味ある生き方の模索、いやもう模索なんていってる暇はないよ、との声も。

-35-
2016.9.2
そんなに親しかったわけではなかったがご近所のご婦人の訃報があった。
町内からの案内ですが今夜が通夜、明日が葬儀、という段取りらしい。
と思っていたら幸福の科学という小冊子が、今朝、ポストに入っていた。
町内の回覧では、運動会の食券販売の予約表が回覧されている。
そのうち、ものみの塔を配布されているおばあさんが、来るだろう。
なにやら、私生活というレベルで、細々としたことが日常としてある。

ここ十年来、陶芸教室に通っているが、主宰者岩根さんからメールがあった。
夏、体調がすぐれなくて休みだったが、9月11日から、再会します、とのこと。
この日は、金沢行きとなるので、行けない、そのあとも予定が詰まってる。
なにやら、日常というもの、世の中と繋がっている、このことが必要なのだ。
一人でいるときは、ラジオとテレビとiPhoneで、世の中と関わっている感です。
人と会う、億劫だけど、会えなくなれば、関わりを、どうしたらいいのか。

ふっと、いま、自分がいる場所を、確認しようとしている。
外界との関わり、多くは他者との関わり、このこと、生きているということ。
SNSの世界、フェースブックをやめようかと思って見たが、その項目はない。
縮小して、使わないようにするしか、ないのかも知れない。
現在は、ネットを通しての情報共有、いいこともわるいことも、だ。
来週には、釜関連の裁判がいくつかあって、傍聴にでかけるつもりだ。

-36-

ここでは本音でこころの内を書き記しておくのがいいのかも知れない。
先週から今週にかけて、身の振り方が大きく変わってきたと思ってる。
図書館、表現大学からの、身の引き方、ということです。
そこでの講師として認められないのは辛い気持ちがまずある。
自分では自負があり、写真表現についての新しい見解もある。
それに基づいて、それを実現しようとして、写真を撮っているところ。
それはそれとしても、主宰者とこれ以上続けるのは、気持ちが乗らない。

もう、いいのではないか、と思う気持ちと、未練とが交錯します。
表大写真講座への関わりは、この9月で終わります。
写真を教える現場には立ち会わない、ということになった。
これは自分にとっての最大の否定なので、あとは引くのみ。
図書館運営、経理運営仕事、それらは、もう、引退したいところ。
講座運営にかかわることを、続けていく最大の興味だったわけだ。
それが成り上がってきて終わっていくのだから、全体を終える。

自分の新たな展開ができるとは、思うけどできないかも知れない。
写真に関する講座、京都写真学校を続ける気はないけれど。
それから自分が主体となって創りあげるということもないと思うが。
節目、だとうと思う、もう終わっているその子との終わりかたも、ある。
こうして決断しておくことで、いつでも気持ちが対応できると思う。
今年残りは、夜間の立ち会い、図書館の立ち会い、それだけだ。
それでよい、これでよい、そう思うと、気が晴れる、ということです。

37-

 

心の中で区切りをつけ、電話でその旨を伝えて、清々しました。
終わって始まる、つまり詰まってきて、終わって始まる。
もう気持ちの後戻りはないと思う。
理事を辞めてもいい、むしろ辞めて清々したい。
過去を一掃する、粛正される、自分で粛正する。
とやかくはいわない、今月で終わりにしようと思う。

1992年からか、図書館のオープン、長い関わりでした。
さようなら、いろいろと思うことあるけれど、何もいいません。
なにもかも、差し上げて、終わりにします。
気持ちが、かなり落ち着いてきて、正常にもどる。
評論、作品つくり、フィクションも手がける、自己満だけど。
結局、そういうことで、自分への評価は自分でするだけです。

釜ヶ崎、東松照明さん、畑さん、写専、専門学校、表大、図書館。
1980年映像情報、1984年フォトハウス京都、写真ワークショップ京都。
自分の歩んできた道を、閉ざすことはない、継続させようと思う。
この歳になって、何ができるかということだけど、まとめができる。
関西写真史も中途半端なままだし、少しは進めるか。
自分のフィルムスキャンもまだまだ残っている。
やることは、いっぱいある、そうしよう、作品つくりは「風景論」だ。

-38-

これまで写真で培ってきた関係がすべて終わったということだ。
図書館も、写真学校も、ぼく自身としてはここで終わりということだ。
新たな関係を求めて、つぎを模索していかないといけない、と思う。
淋しいと言えば淋しい気持ちが込み上がってきます。
空しいと言えば空しい気持ちになってきます。
いったん全てを終える、失う気持ちですが、ぼくの方も悪い。

総合文化研究所、むくむく通信社、この領域は2004年から始めた。
今朝、そこに立ち戻って、再構築か、とも思ったところです。
写真の学校に特化してきたけれど、その結果がいまです。
文筆とか写真とかで表現をつくっていこうか、と思う。
1978年、大阪に立つ、1984年、京都に立つ、終わって立った記憶。
いま、2016年、終わって立ちあがる、とはいっても70歳だ。

あわてることはない、まず自分の表現の原点に戻れ、ということか。
欲をだせば崩れる、まず自分の領域を知ってそこから、再び、だろうか。
さようならを言わなければなりませんね、図書館へはもう行きません。
もうだいじょうぶ、忘れていきます、諸々といっしょに、忘れます。
なにかと思い出すことがあると思うけど、感情は伴わないように。
さようなら、新しい関係を、新たに結んでいきます、ありがとう。

-39-
2016.9.30
なにかしら恥ずかしいことをしているような気持ちになります。
おとといの写真講座で図書館での仕事がおわりました。
昨日は、陶芸教室へ、久しぶりに行かせてもらいました。
かれこれ10年、それほど上達してないけど、器はたくさん。
今日は朝から、静かな気分でしたが、いま、乱れています。
音楽はピアノ三重奏曲「大公」とでています、ベートーベン?

これからどうしようかと思うばかり、思いがつのります。
あの子のことは、一年まえにおわり、半年まえにお別れ、そうして今。
ぼくがそこから去る最後の理由は、あなたがいた処にいるのが辛い。
そんな思いの生き方があってもいいんじゃないか、まるで小説ですけれど。
小説に書こうとして、二度も書けていない、中途半端ですね。
様々な場面でのお顔が、思い出されて、気が動転します。

かわりのひとを求めて、気持ちを静めようとしています。
まだ、まだ、過去とはなりきっていないですね。
この気持ちを打ち明けようかと思うけど、打ち明けてどうなるものでもない。
なにやら、恥ずかしいことばかり、滑稽な自分の存在を、いけないな。
この先、どないして、自己実現させていけばいいのだろう、多難ですかね。
ああ、もう一度、会いたい、いまはそんな気持ちに、耐えていきます。
(日々・おわり)2016.9.30










写真集<京都>

最新更新日 2016.12.22

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